2025年8・9月号


東京や千葉に先駆けて佐渡に
    自動車がやってきた(前半) 


文 有泉 純



霊夢 
ねえ、有紗。
この前さ、面白い事実を発見したんだよ。
佐渡に関することで、へえーという記事を見つけてね。
なんで佐渡なのと思うことだぜ。

有紗 
あのね、そんなに勿体ぶらないでさっさと教えてよ。
何についてなの。

霊夢 
自動車についての歴史なんだ。
明治42(1909)年2月に佐渡で沢根町の人が
乗合自動車の許可を相川警察署に提出したという記録だ。

有紗 
それが何だというの

霊夢 
日本で初めて自動車が渡来したのは明治31(1898)年のことだ。
その45年前の1853年がちょうど黒船が来航した年となる。
で、明治42年といえば、東京にもまだ38台しか自動車が
走っていない時代だ。
今でこそ車社会だけれど、当時といえば馬車が公共機関として
走っていた時代なんだぜ。

有紗 
ちょっと待ってよ、
それってあの黒船来航で、つまりは鎖国していた江戸時代の
終焉ってことよね。
そんな大昔に何で佐渡みたいなところに、当時は最先端の
自動車があるわけなのよ。

霊夢 
それを言おうとしているんだよ。
明治42年2月の佐渡新聞には、相川警察本署で自動車の
許可願いが出されている。
佐渡初の自動車営業出願計画になるわけだが、残念ながら
却下されている。
理由は沢根と相川を結ぶ中山峠が危険なのと、沢根の道路が
狭かったということを理由として挙げている。
最も各地を見ても、自動車を購入して乗合を始めるという
画期的なビジネスだったため話題になったけれど、
実際にはスムーズには行かなかったらしい。
佐渡で初めての乗合自動車が許可されて公道を走ることになったのは、
大正2年3月のことになる。
そういう意味で、例えば東京、千葉、茨城といった県でさえ、
佐渡よりも遅れて許可になっているから、
いかに佐渡が先駆けていたかがわかるだろう。

有紗 
東京よりも早く自動車ビジネスを佐渡で始めちゃったのはいいけど、
どうせうまく行かなかったんじゃないの

霊夢 
それがさ、開業時の自動車営業は大盛況だったんだ。
連日満員で収入もウハウハだったらしいぞ。
珍しいのと、客馬車と比べて何せ格段に早いというので、
客馬車屋が大打撃を受けたと新聞は報じている。
時代の流れもあった。
佐渡の鶴子に新しい鉱脈が発見された。
相川 両津間は佐渡の主要基盤だった。
当時の新聞には、沢根町の町費でもって道路を改修しろ
という論説さえ載っている。
自動車という乗り物に未来を見ていたんだろうね。

有紗
インフラの整備に当たったわけね。

霊夢 
そうだ。
まあ、面白くないのは客を奪われて危機感の募る馬乗業者だな。
佐渡にトラブルはなかったようだけど、日本の各地ではトラブル
が続出していた。
自動車反対運動の首謀者がが、警察に許可取り消しを求めたが
退けられたため、今度は腹いせに出た。
刀を持って自動車業を営む者を実際に斬り付け、懲役2年に
なるという事件が起こっている。
また、自動車の騒音に驚いた乗合馬車が暴走してしまうと
いうことは各地で頻発したらしい。

有紗 
世の常ね。
youtubeに視聴者を奪われるテレビ業界、
ネット記事を見てばかりで売れなくなった新聞や雑誌、
オンラインショップ旺盛のために消費者が足を運ばなくなった実店舗。

霊夢 
自動車の登場がいかに画新的であり、生活自体を変えたか、
何となくだけど当時を想像できるよな。
佐渡ではもはや、車がなければ生活が成り立たないほどの車社会
になっているからな。
しかも佐渡に初めて来た自動車というのが、またとても面白い
経緯を辿っている。
初めてという言葉がいくつもつく、とても歴史的な自動車だったんだよ。
まず、わが国に初めて輸入されたトラックを改造したものであり、
東京郵便局の要請で初めて郵便物の配達を行っている。

有紗 
そんな名誉ある自動車がどうして佐渡に来ることになったの

霊夢 
それには田中二四朗という人物を追わないといけない。
田中氏は新潟県で初めて自動車を買った人物となっている。
次号では佐渡の自動車会社の歴史を踏まえて、
今回の続きを語ろうと思うんだ。










  

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